ランドセルへの思い。

ランドセルへの
い。

お子様が誕生してから小学校ご入学を迎えるまでの、親御さま、ご家族のご苦労は筆舌しがたいことと拝察いたします。
まだ赤ちゃんだと思っていたら、気がつけばもう小学生に。泣きべそだった子も、やんちゃだった子も、みないつの間にか大きくなりました。わたしも、我が子のそんな姿に嬉しくもあり、少し寂しく感じた思い出がございます。

小学校入学は、親御さまにとっては育児の一区切りなのかもしれません。また、お子様にとっては、新しい環境へ新しい一歩を踏み出すときです。その大切なご家族の思い出の一コマに、彩(いろどり)を添えるのがランドセルではないでしょうか。満開の桜の木の下で、ランドセルを背負った愛らしいお子様の姿は、わたしたちに、未来への希望、癒しと幸福を与えてくれます。

創業以来90年の長きにわたって、その姿を見続けてこられたことは、まさに鞄屋冥利に尽きると言っても過言ではございません。

代々ご愛顧を賜りましたお客様へは、感謝の気持ちで一杯です。これからもランドセルを通じて、ご恩返しをしていければ幸いです。零細企業ゆえ、決して多くは造れませんが、地道にひとつひとつ納得のいく、本当に良いものだけをお届けしてまいりたいと存じます。

株式会社モギカバン店 代表取締役 茂木 理亨

時代と共に。

1952(昭和27)年の様子

時代とに。

創業者・茂木忠治(故人)は、1901(明治34)年栃木県足利市に生れます。

当時まだ和装の時代に、生家は洋靴の製造業(後の「モテギ靴店」、現在は廃業)を営んでいました。1929(昭和4)年、東京で修業をした後、靴では本家と競合してしまうことから、鞄職人として、となりの桐生市にて独立をしました。

次第に、腕の良い職人がいると話題になり、「茂木鞄専門店」として地域で広く知られるようになります。

弟子も増え、鞄製造工房としての地位を確立するも、第二次世界大戦中は物資がなく、ほぼ休業状態になってしまいました。(元々病弱だったため、戦争へは招集されなかったようです。)

戦後になると、思いがけず進駐軍から鞄制作の依頼が殺到し、復興を遂げます。進駐軍は、直接牛革(なめし革)を持ち込んだので、鞄を作ったあとの残った革は無料で置いていったといいます。それを利用して、ランドセルを初め、さまざまな鞄を作って店頭で販売したところ、大人気となったようです。

戦後になると、思いがけず進駐軍から鞄制作の依頼が殺到し、復興を遂げます。進駐軍は、直接牛革(なめし革)を持ち込んだので、鞄を作ったあとの残った革は無料で置いていったといいます。それを利用して、ランドセルを初め、さまざまな鞄を作って店頭で販売したところ、大人気となったようです。高度経済成長期に入ってまもなくの、1959(昭和34)年、初代忠治が逝去します。

しばらくして、2代目茂木巌が、忠治の一人娘だった秀子の婿養子となり跡を継ぎます。
そしてその後、資本金を増資し、有限会社から株式会社へ改組するなど、現在のモギカバン店の礎を築きました。
また、モータリゼーションによって郊外のショッピングセンターへと商業の中心が移ったのを機に、足利市、太田市などへ支店を開設しました。

3代目 茂木理亨(現社長)は、20代の頃 単身イタリアへ渡り、革製品をはじめ、建築から工業製品まで、多岐にわたりデザインの見聞を広め、帰国後は、創業の原点に立ち返り、ランドセルなどオリジナル商品の開発に力を入れます。

10年前に社長に就任すると、時代は期せずして〝工房系ランドセル〟のブームにより、脚光を浴びることとなりました。
それにともない、インターネット通販(オンラインショップ)を開設し、近年はおかげさまで、全国のお客様よりご用命を賜っております。

昭和初期のランドセル
昭和初期のランドセル

織都桐生「西の西陣・東の桐生」

織都桐生
「西の西陣・東の桐生

桐生市は、関東平野の北部・群馬県の南東に位置し、山々を背後に渡良瀬川と桐生川の2本の清流が流れる風光明媚な町です。
古くから織物の産地として知られ、「織都(しょくと)」と言われる由縁は、奈良時代に「あしぎぬ」(絹)を朝廷へ献上したと文献に記してあることから、その歴史は1300年前に遡ります。

慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦時、徳川家康の命で、旗絹2410疋をわずか1日で織り上げ献上したことから、以後、「天領」として幕府の庇護を受けます。

江戸時代には、「西の西陣・東の桐生」と称されるほど、発展を遂げました。

享保7年(1722年)越後屋(現・三越)が、産地桐生から直接織物を仕入れる権利を得るため、桐生に出張所(支店)を設けます。(現在の三越桐生)

明治20年(1887年)当時、日本で最大級の織物工場「日本織物株式会社」が設立されました。

工場の敷地面積、63,000㎡。総工費50万円は富岡製糸場(明治5年・1872年開業)の実に2倍強という、とてつもない規模でした。

明治21年(1888年)織物製品を輸送するため、小山・高崎間をつなぐ両毛線が引かれます。

両毛線を経由し、横浜港へ移送された織物は世界へと輸出され、最盛期(昭和初期)の出荷高は、当時の国内GDPの15%ほどに達していたと言われています。

昭和期(1925年~)には、のこぎり屋根の織物工場が数多く建てられ、今でもおよそ200棟が現存し、市内各所でその姿を見ることができます。

桐生新町重要伝統的建物群保存地区

桐生新町
重要統的建物群保存地区

平成24年(2014年)、全国で94番目、関東地方で5番目、県内で2番目に選定された重伝建地区です。
桐生新町は、天正19年(1591年)に徳川家康の命を受け、代官大久保長安の手代大野八右衛門により新たに町立てされ、在郷町として発展してきました。
本町一丁目から二丁目の町並みは、町立て当時のままの敷地形態を維持しています。
そして、のこぎり屋根工場など、絹織物業にまつわるさまざまな建物が残る、歴史的な地区です。

ここにしかない、本物のランドセル

ここにしかない、

ランドセル。

モギオリジナルランドセルは、1929(昭和4)年創業以来、守るべき「伝統」と、変えていくべき「先進性」その融合を追求しています。
「伝統」とは、熟練の職人技です。
ランドセルの製造工程には、職人の経験に基づく高度な技術が欠かせません。長きに渡って培われてきたその技術を、モギは継承し守っていきたいと考えております。
「先進性」とは、新しい素材や機能、他にはない斬新なデザインです。

時代や環境が変化する中で、ランドセルに求められるものも変化しています。昔ながらのランドセルでは、対応することは難しいのではないでしょうか。
例えば、文部科学省の学習指導要綱により教科書が厚くなれば、当然大容量のランドセルが求められるようになります。(モギのランドセルは、大マチのサイズがすべて12cm以上、A4フラットファイルもラクラク入ります。)
昔はほとんどが黒と赤でしたが、近年は個性を尊重する時代です。基本的な形は変わらないものの(学習院型と呼ばれる)、色や装飾は多様化しています。
モギでは、牛革で全65の型・色をご用意しております。

伝統と先進性の融合を目指し、それを実現し、さらに適正な価格で提供して参りたいと、日々研鑽に努めております。
ご高覧いただき、そして、理想のランドセルに出会えることを願っております。

モギカバン オンライン事業部
株式会社モギカバン店
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  • 〒376-0031 群馬県桐生市本町5-369
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